ある日、母と食事の約束をしていました。
しかし、待てど暮らせど母は来ません。
「どうしたんだろう?」
電話をかけても繋がらず、何かあったのかと心配になりましたが、しばらくしてようやく連絡が取れました。
「ごめん、ごめん。すっかり忘れてたわ。」
母は申し訳なさそうに謝っていました。
「まあ、そういうこともあるか。歳だしね。」
この時はまだ、それほど深く考えていませんでした。
溜まっていく小銭と、埋まっていく冷蔵庫
それからしばらくして、母の家を訪ねたときのことです。
テーブルの上に、やたらと小銭が置かれているのが目に入りました。
「こんなにたくさん、どうしたの?」
「いや、なんか増えちゃって……」
母は苦笑いしながら答えましたが、流石に多すぎるのではないかと違和感を覚えました。
「もしかして、細かい計算ができなくなって、お札での支払いしかしていないのでは?」
そんな疑念がよぎりました。
さらに、冷蔵庫を開けると、同じ飲み物がぎっしり詰まっています。
「これ、どうしたの?」
「ほら、あんたが来るかもしれないから買っておいたのよ。」
母はそう言っていましたが、おそらく買ったこと自体を忘れて、何度も同じものを買い足していたのでしょう。
この時点では、まだ「ちょっとおかしいな」と思う程度でした。
正月なのに、正月じゃない?
そして、年が明けて正月。
母と食事をしに行きました。会話は普段通りで、特に変わった様子はありませんでした。
しかし、何かが違います。
母の口から「お正月だから」という言葉が一切出てこなかったのです。
正月らしい話題もなく、お正月気分を感じている様子もありませんでした。
「もしかして、今日が正月だと分かっていない?」
そんな疑念が頭をよぎりました。
しかし、怖くて聞けませんでした。
「日にちの感覚がなくなっているのかもしれない……」
この時点では、まだ確信はありませんでした。
ただ、それまでとは違う”違和感”が心の中に引っかかっていました。
決定的だったのは「帰り道が分からない」
そして、その違和感が確信に変わる出来事が起こりました。
母が電車で外出した際、自宅の最寄り駅までの行き方が分からなくなってしまったのです。
「どうしよう、帰れない」
母からの電話を受け、私は動揺しました。
その路線は何年も利用していたので、そんなはずはないと思いました。
結局、母は駅員さんに助けてもらいながら、なんとか帰宅しました。
しかし、本来なら30分もかからないはずの道のりに、2時間近くもかかっていたのです。
「ちょっと変だな」と思ったら
母の異変は、最初はただの”うっかり”に見えました。
- 約束を忘れる
- 日にちの感覚がなくなる
- 細かい計算ができなくなる
- 同じものを何度も買ってしまう
- 道順が分からなくなる
こうした変化が少しずつ積み重なり、気づいたときには”誤魔化せない”状態になっていました。
もし、「親の様子がちょっとおかしいかも?」と感じたら、些細な変化を見逃さないことが大切です。
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