認知症かもしれない…すぐに病院へ
迷子になったり、約束を忘れたり、小銭が溜まっていたり、冷蔵庫に同じ飲み物が並んでいたり……。
小さな違和感が積み重なり、「これはおかしい」と確信した私は、すぐに認知症を診てもらえる最寄りの内科を予約しました。
病院では長谷川式認知症スケールというテストが行われました。
結果は 8点(30点満点)。
さらに、脳のMRIを撮影し、医師から告げられた診断は アルツハイマー型認知症。
脳の萎縮が進んでいて、医師からも「これは1人で生活するのはもう厳しいですね」と言われました。
「やっぱり……」
そう思う一方で、母の仕事のことが気がかりでした。
1人暮らしはもう無理。でも母は働いていた
母は認知症になってもなお、毎日働き続けていました。
寮付きの仕事をしており、業務は主に単独でできるもので、人と深く関わる機会はあまりありませんでした。
また、日常会話では特に違和感がなく、母の知人たちも「そんなはずはない」と驚いていました。
しかし、これ以上仕事を続けるのは 危険すぎる と判断しました。
- お金の計算ができない
- 日にちや約束の感覚がない
- 道を覚えられない
この状態で仕事を続けていたら、いずれ大きなトラブルを起こすのは時間の問題でした。
「もう辞めるしかない」と決断しました。
しかし、問題はその後でした。
仕事を辞める=住む場所がない
母は職場の寮に住んでいたため、仕事を辞めると住む場所がなくなります。
そこで、私はすぐに引越しの準備を進め、母を自分の家へ呼ぶことにしました。
しかし、母はそれを受け入れられませんでした。
「私は自分の家に帰る!」
母は何度も何度もそう言って、騒ぎ立てました。
長年住み慣れた場所を離れ、突然違う環境に移るのは不安だったのでしょう。
しかし、問題はそこではありませんでした。
母は 今自分がどこにいるのか、なぜここにいるのかをすぐに忘れてしまう ため、何度説明しても納得しなかったのです。
説明する → 忘れる → また騒ぎ出す → また説明する → 忘れる → また騒ぐ・・
この繰り返しでした。
何度も口論になり、お互いに疲弊していきました。
母は不安で仕方ない。
私はもう、どう説明すればいいのか分からない。
「この状態が、いつまで続くのだろう……」
介護の本当の大変さは、この時から始まったのかもしれません。
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