20代の頃、私は母の老後を考えていました。父は早くに亡くなり、親戚づきあいもほとんどなかったため、いずれ母の面倒を見るのは自分しかいないと思っていました。
母は陽気で人当たりがよく、誰からも好かれる性格でした。ただ、お金の管理や計画的に考えることは苦手だったように思います。老後のことも深く考えていなかったでしょう。
だからこそ、私は「いずれ自分が支えることになる」と覚悟し、20代のうちから貯金を始めました。
年100万円を貯める生活
当時の目標は「年100万円を貯めること」でした。特に投資をしていたわけではなく、ただコツコツと貯金を続けていました。その結果、30代になる頃には1000万円を貯めることができました。
しかし、その頃から「このお金をどう活用すればいいのか?」と考えるようになりました。預金のままでは増えませんし、インフレが進めば価値が下がる可能性もあります。そこで、資産運用について調べ始めました。
インデックス投資とNISAとの出会い
30代で出会ったのが、インデックス投資とNISAでした。投資には「危ないもの」というイメージがありましたが、インデックス投資は長期的に見れば安定したリターンが見込めると知り、「これなら自分でもできるかもしれない」と思いました。
NISAが始まると、すぐに満額投資するようになりました。すると、貯金だけだった頃よりも資産が増えていく実感がありました。
そして40代になり、母が認知症と診断されました。
母の介護と特養入所、そして残ったお金
母は住み込みの仕事をしていましたが、認知症の進行で続けられなくなり、私と一緒に住むことになりました。そこからは日々の介護に追われる生活。グループホーム、老健と施設を転々としながら、最終的に特養に入ることができました。
特養に入ったことで、母の生活費は年金の範囲内でほぼ賄えるようになりました。その結果、「母のために貯めたお金」をほとんど使わずに済み、手元に資産として残ることになりました。
気づけばFIREの考え方に近づいていた
母のために貯めたお金でした。しかし、母の生活が安定し、自分の手元に資産が残ったとき、「これは自分の人生を自由にするためのお金でもある」と気づきました。
実は30代の頃、漠然と「会社に依存せずに生きていくにはどうしたらいいのか?」と考えていました。ただ、その頃はまだ「FIRE(Financial Independence, Retire Early)」という言葉も知らず、できるだけ働かずに生きる方法を模索していたに過ぎませんでした。
そんなとき、「FIRE」という言葉を知りました。「ああ、これを目指したかったのかもしれない」と腑に落ちました。
FIREは特別な人のものではない
FIREというと、一部の高給取りや投資の才能がある人だけができるものと思われがちです。しかし、私のように、もともとは親の老後のために貯めたお金が、結果的にFIREの資産につながることもあります。
もちろん、最初からFIREを目指していたわけではありません。でも、「お金を貯める」「資産運用をする」「ムダな支出を抑える」という習慣を続けていた結果、いつの間にかFIREに近づいていました。
母の老後の不安から始まった資産形成でした。しかし、それが今、自分の人生の選択肢を広げる力になっています。FIREは特別なものではなく、気づけば手の届くところにあるものなのかもしれません。
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