母の友人から「お母さんに会いに行きたい」と連絡があったことがあります。
普通ならありがたい話ですし、母も喜ぶだろうと思いました。でも、その時の私は「正直、誰とも関わりたくない」と思ってしまいました。
身体的負担よりも精神的負担が大きかった
認知症の母は身体的には特に問題がなく、トイレも自分で行けましたし、寝たきりでもありませんでした。いわゆる身体的な介護の負担はそこまで大きくありませんでした。
私は一人暮らしが長かったこともあり、家事も苦手ではなかったので、母の分が増えたからといって極端に大変だったわけでもありませんでした。
それでも、精神的にはかなりしんどかったです。
母の認知症が進むにつれて、日常会話がうまくかみ合わなくなることが増え、時には私のことを息子だと認識できなくなることもありました。そんな状況で、母の友人と気を遣いながら対応することがどうしても負担に感じてしまいました。
本来なら「ありがとうございます、ぜひ来てください」と言うべきだったのかもしれません。でも、その気力すら湧きませんでした。今思えば、この時点でかなり精神的に参っていたのだと思います。
介護の精神的負担は理解されにくい
介護というと、どうしても「身体的な負担」が注目されがちです。しかし、実際には「人と関わるのがしんどい」と感じるような精神的な疲れが大きいこともあります。
介護をしていると、相手のペースに合わせた会話や対応が求められます。認知症の母とのやりとりだけでも精神的な負担が大きいのに、さらに他の人との交流まで気を回す余裕はありませんでした。母の友人に悪気がないのはわかっていました。でも、誰かと話すこと自体が負担になっていたのです。
こうした気持ちは、周囲にはなかなか理解されにくいものです。介護をしていると、「親のために尽くすのが当然」という価値観を押しつけられがちで、「人と関わりたくない」と言うと、冷たい人間だと思われることもあります。
でも、介護の精神的負担は、経験した人でなければわからないものです。
介護の辛さを抱え込まないために
もし、今まさに介護をしている人が「他人と関わるのがしんどい」と思っているなら、それはおかしなことでも、冷たいわけでもありません。ただ、それくらい介護には精神的な負担があるということなのです。
無理に社交的でいる必要はありません。誰かと話すことが負担なら、一時的に距離を置くことも大切です。精神的な余裕がない時に無理をしてしまうと、介護そのものがさらに辛くなってしまいます。
私自身、その後しばらくして少し気持ちが落ち着いた時に、母の友人に連絡を取ることができました。その時には、以前よりも自然に対応できました。
介護において「誰とも関わりたくない」と思うことは、決して珍しいことではありません。そういう時は、一度立ち止まり、自分の気持ちを大切にしてほしいです。
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